お金に向き合える人にならないと真の意味で良くならないのではないか

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日記です。

今回はちょっと最近感じたことについて書いていきます。

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日本人はお金に真剣に向き合うべきではないだろうか

この記事で言いたい事はこれだけで。

日本人、稼ごうとする人少なくね?

という事です。

投資の話ではありません、商売全般でもという話です。

もっと興味をお金を成せ儀方そのものに傾けないと何もつかめないなと。

世の中は仕事の提供で成り立っているので、その対価として報酬があります。

これをお互いに意識することで発生するメリットは、より良い仕事をするとより収入が集まるというポジティブな刺激です。

例えば、ブログ発信をしていて何度も何度も触れている事ですが、稼ぐことに思考が向いていないと繊細な収入へのアンテナが立ちません。

頭でっかちでどっから化持って来たような『稼ぐ方法の理屈』は喋れます。

そういうのは逸れこそツイッターにゴマンとながれているし、やはり意識して拾っているので知識として入っているからです。

実戦ができないんですよ。

稼ぐ実戦が。

稼ぐことに真剣に向き合っていないから。

お金に関することをしゃべらないのが日本人の美徳。欲をそのまま出さないのが日本人の美徳。

やはりそういう意識が風土的に多いです。

私もお金に関して多く欲しない様に刷り込まれていますから、なかなか向き合えないんですよね。

チャンスにお金を拾いに行くという行為に。

やれよって話なんですけど。

で、これ何がいけないかというと途中で触れた様に仕事にも真剣に向き合えなくなるのです。

何というか「私は生活に十分なお金を貰っている、現状に満足しているから今の技量の仕事で良いや」と。

雇い主や、仕事先のクライアントは将来の私の分までを評価して一緒に仕事をしてくれているかもしれないのに、です。

そんなことを最近ふと考えていて自分の仕事量はこれで正しいのかとなんか頭を抱えてしまう日々を過ごしています。

ちなみに頭をリフレッシュしようとして有休をとっても四六時中連絡が来るのでほぼ意味が無いので、休むのは諦めていたりします。

欠損している才能を意識する

私自身の場合は購買意欲の欠如というのがありまして。

特に宣伝やキャッチコピーでモノを買おうとは思わないところがあります。

例えば商品のPRを見てもピンと来なかったり、好きなタレント(そんなの居ないけど)がその商品を持っていても別に購買には直結しません。

多分簡単に言うと私は物を買う時、商品の内容量とか構成要素とか値段しか見ていないので宣伝文句が何を言っていようが、イメージキャラクターにどんなタレントが利用されていようが関係が無いのです。悲しいことに。

これ、結構勿体ないなと思っています。

だって購買層の悩みやインスピレーションを体験できませんからね。

そんなこんなでマーケティングの仕事の補佐をしたりキャッチコピーを考えているのって結構異常だなと最近思うようになってきました。

勿論きっちり仕事としてはやっているし、セオリーも踏んでいるつもりではありますが、イイモノが作れているのか、誰かの役に立てているのかは結構疑問なんですよね。

一応理屈は勉強しているので間違った仕事はしてないはずなんですが。

そんなこんなでブログも購買への導線が死ぬほど希薄だったりするわけです。

うむ、言い訳だけでブログが埋まってしまった。

これらを踏まえて、やっぱりもっと稼ぎたいからというお金同期の起点が人生には必要だと思ったわけです。

人はお金が絡んでいるだけでは真剣になれません。

生死が絡むほどの危機に扮した時に初めて真剣になれるのかも。

というわけで「死ぬ気で」が軽い言葉にならないように日々生きていきます。

おっさんの一人語り、また時々書きますよ。

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