否定と能力の関係 根性論が発動できない人に能力分析はNGです!

仕事術・自己研鑽

突然ですが、人にモノを教える時に、相手の能力値を分析するとダメだって知ってました?
正確には、その分析を相手に伝えてしまうとアウトです。

えっ?

人にものを教える為に、教えられる方の現状の把握は必須じゃない?

はむらいと
はむらいと

確かに現状の把握は必須だよ。
でも、教えられる方にとっては、必ずしもそうじゃないんだ。

どういうこと?
数学が苦手でも本人は知らなくてもイイって事?

はむらいと
はむらいと

う~ん、そうじゃないんだけど。
大人は子供より子供なんだよ

大人はある意味、子供よりデリケートなんです。
何年も仕事をやってきて、自信とかプライドとかを拗らせちゃってるから。
今回は、そんな大人同士の仕事の教育に対してのタブーについて触れていきます。

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否定と能力の関係 根性論が発動できない人に能力分析はNGです!

根性が無い人に事実は伝えてはいけない

今回口を酸っぱくして言いたいのは、これです。
根性が無い人、プライドが高い人に、詳細な能力分析や事実を伝えてはいけません。

もっと簡潔に言うと
「今、お前は能力が無いんだからトレーニングされているんだ」
という事実を認識させてはいけません。

でも勉強する時って
出来ないところを把握しないと始まらなくない?

はむらいと
はむらいと

大人はできないところを詳らかにされると

憤りを覚えるんだよ。複雑な生き物でしょ?

闇の人格
闇の人格

面倒…本当に面倒よイチイチ

これからモノを教えるというのだから当然、その人はそれができないとか苦手な状態にある筈。

しかし、成人して脳みそが凝り固まってくると、この『今できないという事実』を受け入れられない大人の、なんと多い事か。
はむちゃんは知っています。

事実を伝えると現実を直視できずに逃げ出す

何故、トレーニングされている事実を伝えてはいけないのでしょうか。
それは簡潔に、相手が逃げてしまうからに他なりません。

人間は理想と現実のギャップから、鬱になってしまう事がある生き物です。
こういった人たちは、自己承認欲求が高く、また理想の自分の位置も現実より高い事がほとんどです。

そこに、客観的事実である
「今あなたはこの能力が低いから、私に教えられているんだよ」
という事実を、直球で投げても到底受け止める事はできません。
むしろそのボール(事実)は重すぎて、相手が潰れてしまいます。

闇の人格
闇の人格

でも、そしたら対処法なくない?

 
はむらいと
はむらいと

確かに明確な対処法は存在しないね。
でもトラブルを避ける方法ならあるよ。

嘘でもいい 褒め続けること

理想が高い人に『能力が低い事実』を伝えてはいけないのは、ここまで書いた通りです。
こういう人は、何かと言い訳をしてきます。

やれ環境が
やれ年が
やれ背景が


そんな事はこっちの知ったこっちゃないですし、本音を言えばこうです。

しかし、こじれた属性が残っている以上客観的な能力の事実を伝えるのは、傷口に塩を塗る様な物。
本人が必死に見ない様にしてきた事実を掘る様な物。

よく子供の育成の場でも登場する例えですが。
「この子は天使の様だ」
と言われて育った子供と

「この子は悪魔の様だ」
と言われて育った子供は、対極の様に言葉通りの子に育つと言われています。



ですので、子供に接する以上にベタベタに甘く相手を評価してあげましょう。
1つできるたびに褒める。
1つ失敗するたびにフォローする。

1つできるたびに何度でも褒める

決して、出来ないところを指摘したり、シビレを切らせてはいけません。
生の卵黄に触るくらい、慎重に扱ってください。
無理なんです、一突きで破れるレベルのセンシティブハートの持ち主が多いので。

だから慎重に慎重に扱ってください。
でないと爆発します。

ああ面倒くさい…。

褒めすぎて、大人が調子に乗ってくるとウザイ事極まりないです…が。
愚痴をこぼされ、あることないこと吐き捨てられて逃げられるのはもっと迷惑です。

だから、グッ…と我慢です。

え?そもそもそんな人員掴まされるなって…?

…。

大人には色々あるんですよ。

この話は反面教師的な物語として受け取ってください

ここまでの話は、私の仕事現場で実際に何回かあった事です。
私は、適性の無い部分は
「ここは適性が無い、他の能力で補おう」
と相手に伝えてしまうタイプなのですが、それが大人たちにとっては深刻な様です。

勿論年下も年上も居ます。
私としては、得意不得意を現時点の能力から明確にすることで、最短コースで戦力になってもらうつもりでした。
しかし、その答え合わせの仕方は、どうやら一部の人間には相当堪える様です。

両極に人が居ると思ってください。 

私の様に、できるできないをハッキリさせてからトレーニング方針を決めたい人間。
例の様に、できない事はオブラートに包んでゆるゆるとトレーニングを遂行したい人間。


人の出入り、雇った辞めたは会社にとって一番大きい無駄遣いの一つです。
であれば、人に合わせたトレーニングというのは当然の事、一般的に効率のいいトレーニングが万人に効率がいいとは限らないという事。

例外が存在する事。

追求レベルを落とした方が、その個人の中では効率が良い事など。

そういう事例も存在すると、考えてやっていきましょう。

この解説自体が独りよがりな文章ですが、それでも今までの経験から、自分の考えとは違う人が居るのは理解できました。
だからこそ、ここでこういった事もあるという事を気に留めて欲しいのです。

ちなみにスパルタ教師になれば、必ずいつか強い弟子が育ちます。
何故って、消えるか残るかしかないから。
そりゃそこそこの能力の弟子が、必ずできますよ。
屍の数も相応でしょうけど。

今回はそういうお話でした。

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