突然ですが、この文章を読んでいるあなた以外の生物って、意識があるのでしょうか?
自分の意思や、感覚、何かを感じる心と捉えて貰っても構いません。
もしかして、あなただけがこの世で、意識をもって生きているのではないでしょうか。
他の人間に、意識があると言い切れますか?
ちょっとちょっと、アンタもアタシも生きてるでしょ!
まぁ、そうだね。
これがロボット的な反応でなければね
えっ……
先に話しておくと、今回は全くとりとめのない話なので、暇つぶしや話半分に雑学を読みたい人にオススメする記事ですよ。
こういう考え方があって、科学的な決着はありませんが面白いので記事にしておきます。
といった内容です、哲学ですね。
同時に、パラドックス的な考え方、哲学的な考え方が好きな方はこちらの記事をオススメします。
クオリア【感覚質】とは
クオリアとは感じる事。
りんごを赤だと『感じる』事。青空を青だと『感じる事』。
柑橘系の匂いが気持ちいいと『感じる』事。一定のリズムを刻む音楽に癒される『感じ』がする事。
いわば、主観です。
クオリアは、物質に依存せず心に。
相手に依存せず、一人称である『自分』にしか存在を確認できません。
しかし、確かにあります。
少なくともこの文章を読んで、何かしら感想を抱いているのであれば、それはあなたのクオリアです。
そして、物質ですらないのなら、いわば魂の様な物。
魂の様だと言いましたが、脳科学におけるクオリアは以下のように定義されます。
- リンゴにあたった光が跳ね返り、眼に刺激を与える。
- 刺激を受けた眼から神経を通って電気信号が伝わり、脳に至る。
- 脳の「赤色」に対応している部分に神経からの電気信号が伝わる2。
- リンゴの赤さを感じとる。
引用元:Share Study
しかし、冒頭に示した通りこのクオリアは結局本人にしか感知することができません。
あなた以外の他人が、クオリアを持っていなくとも、人間の様な挙動をしている可能性もあります。
つまり、あなたからも他者からも、クオリアの存在は自分自身以外に対して証明できないのです。
そして。この様にクオリアの無い生体を、説明の対として『哲学的ゾンビ』と称します。
この世は夢幻か?
>> 水槽の脳とは この世界は脳が見ている仮想現実か【哲学】
哲学的ゾンビ
ゾンビというのは、所謂アンデッド的なゾンビではありません。
『意識の無い者』を指します。
そして、哲学的ゾンビとは
『あらゆる面で人間と変わらない反応を示すが、クオリアだけを持っていない』
とされる仮想の存在です。
クオリアを持っている側と、持っていない場合の例えの対比として、よく使われる代物です。
要するに、人間とまったく同じ反応をするロボットだと考えてしまえばいいです。
我々は人間には魂があるかも、と思っていますが、ロボットには魂があるとはあまり思っていませんよね。
人間とまったく同じ行動や反射をしますが、クオリアだけが無い生体ロボット。
その様にイメージしてください。
ゾンビの無駄知識
ゾンビというのは最近では『蘇りし者』の様に記述されていますが、元々は『社会的に死んだ者』、『意識の無い者』を指す言葉です。
そして、ゾンビを生成する(死者を蘇らせる)ゾンビパウダーは死者の蘇生薬の事ではなく、意識を取り除く物。
要するに、吹っ飛ばす、ハイになる薬の事を指しており、その『ゾンビ』が所謂哲学的ゾンビにおける『意識の無い者』なのです。
ゾンビは概念的にも、昨今のゾンビ像的にも比較的新しい概念なので、そこまで言及する必要は無いのですが、念の為。
心と物質 または魂と肉体
物質は分子、原子、素粒子へと還元できます。
しかし、心は『意識』はどうでしょうか?
何処かに還元できるものでしょうか。
物質的な考え方をすれば、意識は物質ではない。
全てを物質で説明することを唯物論と言いますが、この中では心ですら物質です。
逆に、精神的な物も存在するとするのが二元論で、こちらは物質と心が同時に存在しています。
しかし、二元論の考え方では、物質と心をつなぐ何かを説明できない。
じゃあ意識って何でしょうね?
となるんです。
意識が存在しているのは恐らく、これを読んでいるあなただけは少なくとも確信を持って言えると思います。
そして、その意識は物質に還元できません。
意識は脳内の神経細胞を通して発生しています。少なくとも近代科学ではそう結論付けています。
しかし、物質には還元できない。
つまり、何処にあるのでしょうか。
還元できないが出てきすぎて頭痛いわ
意識ってなんや…?
クオリアは、この心と物質の仲立ちをする考え方とも言えます。
クオリアの存在是非
クオリアなんて考え方があるから、この様に思考の迷路になってしまうわけで、そもそもクオリアなんて無いとする主張ももちろんあります。
以下はwikiからの引用となりますが、興味深い主張の衝突です。
感覚質などない 感覚質はある 脳のすべての過程は物理的・科学的な方法で説明、解明できる。 脳のすべての過程は物理的・科学的な方法で説明、解明できる。 それで、もう説明されずに残るものなどない。それで意識の全てが説明される。 それでも説明されずに残るものがある。それがクオリアである。 脳の過程で説明されないクオリアというのが何のことなのか、分からない。右のような考えは素朴な直感に基づいた、誤った考え、単なる錯覚である。 脳の過程より何より、クオリアが在ることほど、確実なことはない。左のような主張はどこかで現象性を密輸入しているか、自己欺瞞であるか、または神経系における何らかの機能的障害であろう。 右のような奇妙な事をこれほど自信満々に言う人たちが、一体なぜいるのか。これには何らかの科学的な説明が必要だろう。 左のような奇妙な事をこれほど自信満々に言う人たちが、一体なぜいるのか。これには何らかの科学的な説明が必要だろう。 現象判断の過程、つまりクオリアについて判断している神経過程について科学的に研究すべきである。 現象判断の過程、つまりクオリアについて判断している神経過程について科学的に研究すべきである。
引用元:wikipedia
さて、なんかどっちも言ってる事が正しい様に見えてきますね。ただ、実際に研究は進められないんです。
クオリアの研究が進み辛い点として、下記が挙げられます。
- 人間に対する臨床実験が行えない
- あくまで主観なので証明が極めて困難
- 実験を行ったとしても脳の大部分が未解明で確証を得られるかわからない
さて、意識って何でしょうね?
というないようでした。
も、もやもやしか残らない…
哲学って得てしてそういう物じゃない?
さて、これを書いている私、これを読んでいるあなたのクオリアは本当に存在するのでしょうか?
物質の運動の結果に過ぎないのでしょうか?
『個』はあるのでしょうか。
色々考えてみると面白いかもしれませんね。
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