不祥事、不貞、不謹慎。
こうした内容のことが発生する度に、自らの正義を振りかざし他人に押し付けようとする人たちが現れるのは何故でしょうか?
人間は、自分が悪い事をしている時は周りもやっている事だと主張し。
自分がやっている行いは良い事だ、と解釈したい時、それをいいことだと思い込みます。
これらを合わせて自己解釈の『正義の鉄槌』を下しているわけです。
あくまで自分自身の中の正義です。
しかも、元々はストレスや怒りの揮う場所が無くてアンコントローラブルになった感情なので、タチがわるいですね。
こうした自分勝手な正義は社会不安を増大させ、ストレスに弱い人間を追い込み、メディアが面白おかしくはやし立てて、余計な混乱を生みます。
今回はそうした一例を見ていきましょう。
ダーティハリー症候群とは 行き過ぎた正義
ダーティハリー症候群は、主に警察官が陥るとされる心理効果で、昔はワイアット・アープ症候群という名称で使われていました。
ダーティハリー症候群という名称は同名の映画タイトルから来ています。
極限状態にある新人警官が、自らの力を誇示しようとして過度の暴力行為に及んでしまう心理です。
自身が正義のと信じ「悪党に生きる資格はない」として、抵抗すると持っている拳銃で射殺してしまう。
ちなみにダーティハリー自体はこういった方向性ではないのですが(描写はある)名前として引用されているといった感じ。
この、自分勝手に振りかざす正義は悪党側にも火があるとはいえ少々行き過ぎた行為です。
また、ここまで行かなくとも政治情勢や経済が狂っている時は、ここの発動の閾値が下がります。
即ち「全体と足並みをそろえない奴は悪だ!」「悪にはどんな侮蔑をぶつけてもイイ!」といった輩がしばしば現れるのです。
ダーティハリー症候群と同じく力を持った者の側面を研究するものとして、スタンフォード監獄実験という非常にヤバイ実験がありますね。
囚人役と看守役に分けて。というアレです。
サザエさん炎上
2020年4月26日(日)のサザエさん放送界で、炎上する事態があったといいます。
日常を紡ぐお茶の間アニメなのになぜ?
好き嫌いがはっきり分かれる『渡鬼』じゃあるまいし……。
その内容をかいつまむとこうです。
- 磯野家がG.W.にレジャーの計画を立てる
- 別の話では動物園を訪れる
- この放送を見た人達の一部が「不謹慎だ!」とがなり立てる。
詳しくはライブドアニュースへ。
世はコロナ禍とよばれ、新型コロナウィルスが蔓延しています。
不謹慎が先走ってしまう人達は、混乱の中では一定数登場します。
が、既に反論にある通り『アニメと現実が区別つかなくなっている』という状態です。
Twitterの声を拾ってみました
などなど。
こういった時に自分の怒りが怒りではなく、不安が募って叩きたい対象を探しているのではないかといった思考に立ち戻ることが重要ですね。
どのあたりの層が本気でサザエさんにクレームをつけたのやら……。
経営店舗への警告
新型コロナウィルスの影響で、業種問わず営業自粛を余儀なくされる店舗も増えましたがその傍らで営業を続ける店舗も。
お客さんが来る以上。
本人の職種が店を営む事であるである以上、特に糾弾される事が同課は是非が別れますが、行き過ぎた正義がここにもありました。
コロナの影響として何より恐ろしいのが、こうして営業を続ける方向に舵取りした飲食店に対して、陰湿な嫌がらせするメンタルが生み出されてしまっている所。
— いかれ帽子屋の屑人間 (@kuzu_ningen) April 26, 2020
心がすさみきってるなぁって感じさせられる。
ここ、経営者は変わったものの「吉田類の酒場放浪記」にも出た老舗なんだけどな… pic.twitter.com/tIargBmOrD
こうした嫌がらせは、行き過ぎた正義にはならないのでしょうか?
基本的に嫌がらせをすれば解決するかと言われると、解決しません。
心理学的には指摘されたことと逆を行ってしまうブーメラン効果と呼ばれる反発作用もあります。
もし店舗が実際に次のタイミングで仕舞っているとしたら、それは中の方が心身的に参ってしまっただけの事。
ウィルスで人を追い込むのも、言葉で追い込むのも変わりはありません。
そして、こういった行動に走る人たちは得てして深く考えずにストレスの吐き口を探しているだけなのです。
沢山居るわけではない?
こうした極端な意見を言って、人が人を排斥する現象は局所的に起こっています。
SNSであれば大炎上してリプライが寄せられ、さらにそこに同調意見がある事も珍しくない為、まるでそれが世の中全体の声のように聞こえます。
しかし、実態は違います。
例えば、すごく人気に見える政治家が居るとしますよね。
その人物がツイートする度いいねが数百ついて、リプライも賞賛ばっかりで支持層が沢山居る様に見えます。
しかし逆に考えて下さい。
リプライ全てをひっくるめて賛同者を見積もっても、熱狂的な支持者はたった数百人程度なのです。
これが芸能人であればどうでしょう?
有名なボーカリストの方であればどうでしょうか?
もっと人が集まっていますよね。
さらに政治家の例に戻して、熱狂的支持者であったとしても直接選挙区で関われる人がどれだけいるでしょうか。
そう、こうした『一見人気に見える』という現象は、局所的に集まっているにすぎません。
そして、実態や実行力を伴わない可能性があるのです。
声の大きい人たちによって支持が集まっているに過ぎず、候補者自身もあまつさえそれを信じ込んでしまい、意気揚々と選挙を迎えて結果大敗してしまう。
こうした事は何処でも起こりうるのです。
特にネットではそういった集団化や声の反響が出やすい為、異常に大きく見えているに過ぎず、実態は何の波風も立っていないことがままあります。
ストレスの捌け口を探さない
前述しましたが、ここまでに紹介したような行為に走る人間は得てしてストレスを抱えていることが多いです。
社会的なストレス要因として社会情勢、経済情勢、パンデミック。
身近なストレス要因として、仕事、お金、人間関係。
内的なストレスとして、承認欲求、自己承認などなど。
言い換えてしまえば心を病んでしまった人たちですが、はけ口を他人にまで求めるというのは、弱さです。
無駄に当たり散らしたって何も解決しないのは、誰もが経験上で知っている事ですからね。
彼らは解決を求めて当たり散らしているわけではないとはいえ、それではただただ迷惑な存在なだけ。
こうした自分だけの正義を振りかざす人が多くならない事を願います。
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