毎度指摘される度に疲れている人も居ると思います、この言葉。
「もっとポジティブになりなよ! そうしたら人生楽しいよ」
そんなこと、知らんがな。
というか、ネガティブな人にはその誘い文句自体が無理だよ。
「おめぇ、明日から身長増やせ、10cmな」
って言ってるレベルに無理です。
不・可・能。
ネガやらポジなんてその人の思想、生活、生まれ色々な要素に起因しているので、一朝一夕で変わるわけないでしょうに。
例えば昨日まで続けていた日常的な癖を、翌朝からキッパリ辞めることができますか?
無理ですよね。
それ以上に濃いものがネガ・ポジの精神です。
というわけで、何かを言われ続けるネガティブ側はいつも心理的ストレスを感じているんですよ、というお話です。
世間のポジティブ上げで疲れる
意識高い系の本が2010年代からやたらと流行っている所為で、ネガティブな思考の人が微妙に端っこに追いやられている節があります。
ポジティブにものを捉えることで、心理的負担が軽減されるのは確かですが、それを強要されるいわれはありません。
ポジティブは良い想像を先に行い、ネガティブは悪い想像を先に行っているにすぎないからです。
しかし少なくとも、ネガティブに考えるの自体に世間的な居辛さを考えているのは確かです。
圧倒的なポジティブ人間にはわからないところにある、『吉報も最悪の想定から聞き始める』というのはぜひ理解してもらいたいものです。
そしてネガ人は繊細なので『敵性アリ』と判断しただけで、自らがダメージを負いハンデを背負っています。
少しでもこちらを変えようとする姿勢を見せられると、つい防御反応が飛び出てしまいます。
「この方が人生楽しいよ!」
その他の思惟を知らないから苦労してるんだよ!
ってかんじですね。
疲労時に喧嘩絡みされる
大体夜になると暇な人が増えてくるので(他にやることあるだろう)ダル絡みする人が増えてきます。
特にSNSだと。
よく『クソリプ』や『アンチ』などがマイナス表現的に使われますが、これがあるととりあえずその日一日の仕事がもう1つ増えたなという感じになります。
「そういう時はこうしたほうが良いですよ」
ならまだしも、
「あなたの考えはこういう観点で間違っている、だから私の考えを受け入れなさい」
等とリプが付いていた日には発狂ものです。
こいつどうしてやろうかなと悩んでいるうちに、無駄な一時間を過ごしてしまいます。
そして悪いと数日この考えに付きまとわれ、悩まされ続けパフォーマンスを損なってしまうのです。
百害あって一利なし、ネガティブな人に、強制的な矯正を行うなという事です。
それ、考えの押し付け合いだからね。
躱そうとしても絡んでくる人も居ますし、だからネガティブにはSNSって結構重たいツールなんです。
だから本当は発信を最小量にして、情報端末を増やすべきではないのかもしれませんね。
指摘されるだけで疲れる
ネガティブな人に「ポジティブになれよ!」って言うのは。
ポジティブな人に「ネガティブになれよ!」って言ってるのと変わりません。
ほら、この二行でどちらの人種にも対応していますよ。
疲れるでしょう、心情と逆のことを強要されると。
これが日常的に起こっているのが意識高い系の方達が引き起こす、上から目線なんちゃってコンサルティングなんです。
そんな誰でも知ってる内容今更言われてもね。
選んでこの考え方に落ち着いているわけだから、難しいんだよ。
というわけです。
なのでぜひ、ネガティブ人間たちを一人にしてあげてください。
彼らは基本的に必要最低限のかかわりの方が、安心する傾向にあります。
だってその方が余計な事に思考時間を取られなくて済みますからね。
人と関わりたいウェーイなパーリナイ人間とは違うのです。
それぞれ独立した考えを持っている方が良い
ポジティブな方が色々都合がいい場面もあるでしょう。
しかし違いが現れないと比較が現れず、ひいては娯楽のふり幅なども無くなっていってしまいます。
外的刺激が無くなると、文化的には衰退する一方なので多様性を許容し文化水準を高めるという意味では強要する人が一定数居たとしても、実際に統一する意味は殆どないのです。
だからネガティブ側も無理をして帰る必要はありませんし、ポジティブ教論者も不況に飽きたら別の所へ行けばいいのです。
住み分けですね。
ただし、完全な住み分けはいけません。
閉鎖的コミュニティの中ではまともな考えが成熟しなくなるので、これをエコーチェンバーと言いますが、これに近いことが起こります。
結局バランスを保てという話に帰結するわけですが、ネガティブ勢はこうして心的な疲労をため込んでいるという話でした。
過度なポジティブ勧誘は、慎んでくださいね。
逃げられちゃいますよ?
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