現代の村八分か 自粛警察と暴走する正義感に世間は冷ややか

心理学・人間関係

2020年はウィルス拡散を防ぐ為の自粛要請が政治的に発信されるなど、近年でも異例の対応がなされていますが『自粛警察』という新たな言葉が誕生する事態にまで発展しました。

今回は自粛警察と昔からある村八分文化について書いていきます。

人間の防衛本能なのか、歪んだ自己顕示欲なのか、はたまた単なるストレスの押し付けなのか。

人間の暗い部分を見ると、本当に浅ましいなと思ってしまう瞬間があります。

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自粛警察とは

怪しい男性

自粛警察とは2020年のコロナウィルス自粛期間騒動中に広まった、行き過ぎた忠告をする人たちの総称。

営業している飲食店やその他店舗に一方的な通告をし、自粛要請に沿わない様なら公的な機関に通報するなどといったと脅したりします。

匿名で張り紙をしたりSNSで警告するケースがほとんどで、事前の店舗状況の把握やルールも曖昧。

個人の思い付きで行動しているような印象を受け「そもそもこの張り紙をしている奴らが不要不急の外出をしているじゃないか」とまで言われる始末。

本人たちは正義のつもりで実行しているようですが、完全に後ろ指をさされるやりすぎな表現や間抜けな表現を取っている所為で、意向と違う世間の受け止めになっています。

専門家的には『過剰な防衛本能によりそういった行動を取る』と称される今回の問題。

名誉棄損で訴えない限りは浮上しにくいといった事も増えていると報道される要因の1つ。

こうした行動に走ってしまう人は、どうしても情報屋行動が偏ってしまう為、一度情報自体から離れるのが良いとするのが、通常の見解です。

村八分とは

孤立

村八分とは、主に村社会単位で決まり事を破ったり反論をした人もしくはその反論に参加した複数人に対してなされる制裁行為です。

制裁行為なので、する側は全員で結託して制裁・排除行為を行います。

十ある基本的な交際のうち、火事と葬式以外は一切協力しない。

八分とは冠・婚・建築・病気・水害・旅行・出産・年忌の八つとされており、これらにおいて制裁を実行する側は村八分の対象に対して手伝う事はありません。

現代ではごみ収集所や、共同施設への立ち入りの禁止。

敷地内への嫌がらせなど陰湿かついやらしい物も追加されています。

何故火事と葬式がこれらの要件から外れているのかというと、こちらは至極単純な理由で。

火事の場合は延焼し村全体に燃え広がってしまうから。

葬式の場合も、流行り病や感染症で倒れた人間を適切に処理できないと病が村全体に感染してしまう恐れがあるからです。

つまり、村全体の損になる場合は動くが、それ以外は一切排斥する。ということになります。

大昔の事、風習と思われがちですが、歴史は比較的新しく江戸時代。

近年有名な件では2011年に裁判になって、実行側が敗訴した例などがあり、現代にも残っている風習だという事がうかがい知れます。

村八分行為自体に明確な刑事罰は課せられていませんが、『社会的名誉を棄損する行為』として脅迫罪などにあたる可能性があります。

コロナウィルスの件では、規制が発覚した人物や家族に対し、執拗な嫌がらせをするといったケースがあったり、壁に「コロナ!」と書かれたケースもあります。

閉鎖的な空間における人間の行動は、一般的な定義とはかけ離れたものがあります。

自粛警察の例

ネットワーク

ツイッター上で広まっていた自粛警察の例です。

この「オミセシメロ」は大きな話題になりました。

こちらも同様に、メディア側が自粛警察増加のニュース。

道内では札幌の移動に関してのアナウンスが出ていて、より道民がピリピリされているという解釈がありますが行き過ぎですね。

どことなく「覚悟の準備をしておいてください」臭のするコメント。

読むのキツイですね。

排斥行為に大義は無い?

不安な男性

どんなに言い繕っても、両方とも広義ではただの『いじめ』もしくは『脅迫行為』です。

掟や決まりを破るのがどれくらい重いか? というのはその集団の秩序形成に大きな役割を担っているかもしれません。

しかしそもそも「掟の方がどの程度拘束力があるか、脅迫行為をするのはまともか?」というのは常に考えられなければいけません。

古く見直されても居ない掟や、現代に通用しない非効率的な物。

伝統とはとても言えない様な『誰かに都合の良い伝統』など、おかしな点や見直す点は沢山あります。

よく漫画でも、誰も知らない農村に引っ越してきて、問題行為を知らずに行って――という冒頭の作品がいくつもありますよね。

別に問題行為を行わずとも、そもそもヨソ者に厳しかったり。

慣れさせるまで数年もしくは十数年排斥する例も。

こういった新しい物を嫌う感情を【新奇恐怖】と言います。

人間は基本的に新しく、知らない事に恐怖を覚えて排斥行為に走る事があります。
https://hamwrite.com/neophobia

逆に立場が変われば意見が変わるとも言いますが、村八分で行われるような長期間の排斥や報復は双方ともにメリットの無い私刑ですよね。

自粛警察の問題点

騙す人・騙される人

自粛という曖昧な言葉自体が、事態をややこしくしている要因の一つではあります。

しかし『自粛警察』とわざわざ問題視されるからには、やはりいきすぎた『気持ち悪さ』があるのです。

結局外に出れない事、先行きの不安など精神的なストレスを、他社に押し付けているだけなのです。

その排出行為を「字画の無い奴らに自粛を促す自分は正しい」といった傘を着てやっているだけの元。

通告上問題の無い営業であれば、こういった嫌がらせに等しい行為が善い行いと認められるはずはありません。

事実確認をしないで自粛警察に走る者、勘違いした内容など、客観視の欠ける行動ばかりです。

暴走が新たな暴走の呼び水にもなり得るのが人の活動ですから、良い事なんて1つもありません。

大バッシングの中、実行した人たちは何を考えているのでしょうか。

協力する動き

自粛警察というマイナスイメージがある中、希望のあるツイートもありました。

店舗側で使っていない敷地を無償で貸し出すとの事。

こうした企業の支え合いの努力もあります。

悪い事ばかりではないのです。

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