レイシストという言葉をご存じですか?
レイシストという言葉の由来。広くなった意味。そして現代に蔓延る新しいレイシストまで。
今回はそれらがどういったものであるかを解説していきます。
現代においてはかなり広く普及してきており、意味合いや幅も曖昧かつ広義になってきました。
元々人種差別主義者を指す言葉ですが最近では、批判皮肉の意味合いで使われることも多くなり、少し整理をしたいなと思いこの記事を書いています。
差別が発生するのは社会生活における自己防衛の自然的要因ではと思っているのですが、レイシスト一般人をレイシスト呼ばわりしたりと、見ていてかなり違和感を感じることもあります。
そういったところを、少し整理してみていきましょう。
怖いのは自分が行っている行為は差別だと思っていない
って人がとても多い事よ
「差別を正す為に私が叩くのは正義」
が多すぎて…
ミイラ取りがミイラになっているというか
強い者への抗議で始めたつもりが、いつの間にか集団暴力になっていたんです。
といった様な状況を、ネットだとよく目にします。
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レイシストとは 差別主義者【意味】
レイシスト本来の意味は、人種差別主義者。
元々はこの人種差別の身を指す定義でしたが、昨今では事情が変わってきており。
何かの属性に対して、排他的な行動を取る人。
というのをひっくるめてレイシストと呼んでいますね。
この場合の属性の定義は何でもよくて、人種、出身、性別、趣味嗜好、肌の色、主義主張…。
とにかく『境界線を引きたがる人達』といった感じの言葉になっています。
「根本的な属性・要素の違いにおいて、違うのだから差別しても良い」
といった根幹に排他的な考えがあり、こうした行動に移るのだと考えられています。
人を意のままに操る言葉の力
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レイシストの語源
語源は人種を意味する『race』の派生語ですね。
レイシズム-racism-という言葉を聞いた事が無いでしょうか?
レイシズムは人種主義、人間の集団ごとに差異や優劣があるとする考え方です。
人類の中にも優良種や劣等種がおり、それによって取り仕切りをしていくべきだ、等と過激になればなるほど危ない思想になっていくわけです。
つまり、差別要因の大きな要素に成り得るわけですが、これを支持する人たちを『レイシスト』-racist-と呼び、冒頭お話しした通り人種差別主義者と訳されるのです。
時々SNS上では「日本人の差別は酷い外国人を見ると避ける様に歩き、対応するそぶりを見せない」といった趣旨の言動を見かけます。
しかし、実態は大きく異なっています。
海外では人種差別政策による有名な事例も少なくありませんよね。
日本語の教科書でもアパルトヘイトは学習します。
また、意味が多岐に渡るため定義の難しい、反ユダヤ主義の様なものもあります。
定義や意味合いがそれぞれ異なりますし、同じ言葉でも違う状況を指す可能性があるので、こちらはあまり触れられる例ではありませんが念のため名称のみ取り上げました。
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カジュアルレイシズム
また、カジュアルレイシズムという言葉もあります。
ここ数十年で特に注意されているのが「外人」や「肌色」といった言葉です。
外人はそのまま『外の人』となり、国外の人を指していますが。
『人外』を逆転しているようで字面的にも良くありません。
また日本語の『肌色』という言葉は、黄色人種の肌を指しており、肌の色は人種によって異なる為、之も正しくないとされました。
クレヨンや色鉛筆などは『ペールオレンジ』という表現に置き換えているケースがあります。
年齢や男女、ハーフといった差別とするレベルではないことも、受け取り手によっては差別となり得ます。
これらを踏み越えていることをカジュアルレイシズムと呼ぶのです。
現代のレイシストは正義マン化する
現代日本は言葉の意味がころころ変わりやすかったり、広い意味になってしまう懸念があります。
例:博愛主義
現代型のレイシストに定義されるような人たちは、定義が大分緩くなりました。
ヘイトをまき散らす人=レイシストになっている事も間々あります。
彼らの極端な行動はそのまま転じて正義マン揶揄される様になりました。
正義マンも最近でてきた言葉ですね。
この定義を簡単に説明すると【自分の中の道徳観や倫理観に従って行動し、そこから外れている人に対しては激しく非難的な行動を取る人、その時の周りの迷惑は気にしない人】です。
要は自分ルール仕切り屋さんです。ある程度道徳観や倫理観が入っちゃってるのが、事をさらに厄介にしています。
普段は理屈っぽいかもしれませんが、一選を超えると烈火の如く怒り、こいつが悪いだから俺が怒ってやっている感が発揮されてしまいます。
それでも極一部の側面から見ると、正しい行動に見えるんです。ただ、結局周りが迷惑しますけど。
僕は電車の遅延原因で正義マンを見たことがあるのですが
一方が音漏れの五月蠅い人で、もう一方が正義マン。
正義マンの方から怒鳴りつけて、音漏れさんを電車から引きずり降ろそうとして、結果電車は遅れるわ、周りは不快だわで被害が広がっている。
こんなケースですね。
これをしないのが『空気を読む』という事なのでしょうが、『必要以上に被害を拡大しないで行動する』ことも大事です。
正義は何かの免罪符ではないし、ましてや自分が正義かもわからないので。
その直情的な考え方には注意が必要です。
ある集団にだけ長く居ると、こうした刷り込みが良く発生します。
例えば自分に都合のいいバイアスが、何度も何度もかかっちゃって、情報の客観性を欠き、極端な行動に移してしまうという事ですね。
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極端な行動をするのはいいんですけどね、度が過ぎるとただの危ない人ですからね。
それでもシンパや支持者が増え続けるので、おそろしいのですが。
SNSは運用都合の関係で、立地的な関係が無く、同じ考えの人たちが集団化しやすいので、こうした良くない現象が発生しやすいんです。
でも、マイノリティな考え方や、ぶっ飛んだ考え方の人でも、必ず一定数は存在していて、それらをSNS上で数をまとめてしまえば何となく多数派に見えてしまう。
私の意見はこんなに肯定されている。といった錯覚を起こしてしまうのですよね。
だって日本国民の1万分の1でもそのコミュニティに参加すれば、支持者が1万人を超えたような錯覚を起こしますからね。
ね、虚構の数と主張でしょう?
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正義マンの嘘と心理
宣言というのは見え透いたウソにしか見えない。
現代レイシストたちは、何かにつけて宣言を行います。
自分たちはこういった行動に重きを置いていると。
胡散臭いですよね。
信憑性が無い、発信に一貫性を感じない。
そして自分で宣言する正義ほど怪しい事も無いということです。
ウィンザー効果の例でも話していますが、他人が言う方が通りがいいんですよ、こういった内容って。
それなのに、自分で「私は差別しません」とか言っちゃう。
だからこういう人達とのお付き合いは警戒したほうが良いんです。
私は以前Twitterでこの様につぶやきました。
【私は差別しません。という宣言に違和感がある理由】
— はむらいと🐰連続更新230日の人の皮を被るうさぎブロガー🐰 (@hamwrite30) December 13, 2019
これは単純で
私(差別しない人たち)
と
それ以外
で
『私たちの考え方には既に境界がある、私はそれを許さない』
と宣言しているから
つまり端から既に差別する宣言をしている
だから鼻につく宣言になる
俺はその場の価値観が重要だと思うよ
こういう記事書いていると「お前もそうじゃん」って突っかかってくる人が必ず発生するのですが、それは置いといて。
僕はこういう上から目線の人が嫌いなんですよ。
こういうの。心の中は絶対的に差別主義ですよね。
警戒しかありません。
そしてわざわざ相手にしたくないですよね。
変な集団心理への対処法
面倒なので。
- 1.関わらない事
- 2.戦わない事
です。
それ以上の策とかやり方はありません。
徹底的にこの辺との付き合いを避けてください。
とくにSNSでは突然リプライが付いたり、その他所連絡が飛んできてビックリすることがありますが、それらも冷静に無視してください。
やりとりを見てると、メチャクチャ情けなくなるので。
自分たちの行動に陶酔している言動とか。
極寒レベルの寒さです。
その他、回避手段として関連記事をまとめてあります。
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反○○は判断を狂わせる
主張者に対するアンチだから、あの主張には賛同できない。
という考え方があります。
しかし、この様な考えは心理学的にも説明することができ、バランス理論や認知的不協和といった『理性的でない思考』の果てに起こる事がほとんどです。
理性的に解釈しているつもりでも、実は深層心理は結構単純で『キライ=反対』に結びついているわけですね。
こうした感情をコントロールできず、差別に繋がったり自分の抱える理想と矛盾をするケースが多く考えられます。
その排他的活動は本当に理性や倫理に則ったものなのか。
レイシストと呼ばれる人達は自分を見つめ直す機会を、自身に与えるべきだと。
そう強く願います。
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